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【透過光】


「着いたぞ」
 そう言って真田が車を停めたのは、小さな一軒家の庭の駐車場だった。
 一体どこに連れてこられたのか、さっぱりわからないという幸村は助手席から降りて良いのかどうすれば良いのかわからずただその2階建ての家を見上げている。
 真田は運転席から降りて車の反対側に回り、助手席の扉を開けた。
 それから、幸村の手を引いて立たせる。膝掛けにしていたフリースを肩に羽織らせるのも忘れずに。真田に促されるようにして幸村は車を降りた。
 はじまりは、突然の退院の知らせだった。
 日一日と衰えてゆく自分の身体を誰よりも一番わかっていた幸村は、それがどういうことなのか勘付いていた。
 長い入院生活だったが思ったより荷物は少なく、退院の朝、ボストンバッグと紙袋ひとつを持って迎えを待っていた幸村を迎えに来たのは、父でも母でも妹でもなく----真田だった。
 そういうことは初めてではない。
 というより幸村にとってもう日常茶飯事だった。仕事に忙しい父、祖母の介護に忙しい母。子供時代から、面会といえば家族よりも真田の方が訪問回数は圧倒的に多かったし、年月が過ぎ、真田が自動車の運転免許を取り自分の車を持つようになってから、自宅療養中の通院や一時帰宅の送迎などを彼が引き受けてくれることは何度もあったから。
 けれど今回は。
 病院を出てから、いつもと違う方向へ車は進んだ。朝飲んだ薬の副作用か、乗り心地の良い車のせいか、いつのまにかうつらうつらとしてしまった。そして、「着いたぞ」の声で目を醒ました時、全く見ず知らずの場所に自分は立っていたわけだ。
 呆然とする幸村を置いて、トランクから荷物を取り出すと、真田はさっさとその家の玄関の鍵を開けて家の中に入っていった。
「幸村。外は冷えるから、早く入って来い。歩けるか?」
「自分で歩ける。……真田、ここは……」
 促されるまま、幸村はその家の玄関をくぐった。
 飾りもなにもない、シンプルな玄関だった。


 呆気に取られたままの幸村をよそに、真田は廊下を進み部屋に入って行く。リビングルームにぎこちなく、真新しいソファとローテーブルが並んでいた。真田が選んだものらしい、華美ではなく落ち着いた色合いのものだった。
 荷物を置くと、真田はすぐに幸村の肩を押してそこに座るように命じた。それから、空調のスイッチを入れる。
「飲み物は何がいい? といってもまだ、コーヒーと緑茶くらいしかないが……」
「……じゃあ緑茶を」
 リビングは広い間取りで、オープンなダイニングキッチンが見える。真田がケトルでお湯を湧かし、戸棚からティーポットと茶筒を取り出して二人分の飲み物の準備をしているのが見えた。
「何か手伝おうか」
「必要ない。それより、具合は悪くないか。体調が悪いなら横になるか、ベッドに行ったほうがいい」
「ご心配なく。今日退院したばかりのとても元気な病人だから」
 それにしても、ここは一体どこなのだろう。
 幸村は考える。思考力の衰えた頭で精一杯。
(真田の家かな)
 もちろん、昔から知っている真田の家ではない。あの、時代を経て年季の入った和風な広い家と、ここはまるで正反対だ。
 しかし、引っ越したという話は聞いていない。第一真田の家は引っ越しとは縁遠い昔からの由緒ある屋敷だったし、それにこの家は外観をちらりと見ただけでわかる、家族で何人も暮らすような大きさではなかった。
 二人で座ってまだ余裕のありそうな広いソファの正面に、TVとオーディオ機器が置かれている。棚の端にまだ繋がれていない配線コードが見えた。
 ぎこちない家具の配置や、さりげないが部屋の片隅に幾つか置かれている段ボールの箱を見て、幸村は推測した。
(引っ越して間もないのだろうか……?)
 ほどなくして、真田が両手にマグカップを二つ持って戻ってきた。
「寒くないか?」
「大丈夫だよ。それより、ここは……?」
 カップの一つを受け取りながら、幸村はここについてからずっと抱えていた疑問を真田にぶつけてみた。
「ここは、真田の家?」
 その質問に、真田はまず自分の分のマグカップをテーブルに置き、ソファに座った幸村の前で姿勢を正して正座して座り、あさっての方向を向きながら何度か咳払いをして、それからまっすぐ幸村に向かった。

「ここは、俺と、お前の家だ」

 その真田の答えに、幸村は正直面喰らった。自分の病気が一番衝撃的だった幸村は、病名を知らされて以来ちょっとやそっとのことでは動揺もしなかったが、それ以上に驚くことがあったなど思いもよらなかった。
「……これでも、俺の家やお前の実家にかなり反対されたり、色々あったんだ。更にお前にまで拒まれたら、きっぱりあきらめるが」
「何で」
「ふたりで生きていきたい。そう思ったからだ」
「だって」
「言わなくていい。もう何度も聞いた」
 俺の命は、砂時計だよ。透明なガラスの中に入っていて、あとどれだけ残っているか、それが少しずつ減っていくのが目に見えているけれど誰も止めることはできない。
 幸村は、真田にだけははっきりそう告げてある。
 何度かの手術で、砂の減りを遅くすることはできたけれど、それでも砂は落ち続ける。
 そんな幸村を、真田は愛し続けた。
 出会った頃は、ただ毎日会いにいくことしかできない子供だった。早く大人になりたいと思った。大人になればなんでもできると思っていたから。それは子供の幻想で、いくら大人になっても叶えられないことはたくさんあることも知らされたけれど、手の届く範囲で叶えられる願いもあることも知った。
 幸村と、一緒に生きていきたいと思ったから。
「……ばかなんだから……」
「もう10年以上も言われている。慣れた」
「ホント、ばかだよ」
「俺が決めた人生だ。間違っているととがめられるとしたら、それはお前だけだ」
「間違ってるよ。……でもそれを拒絶できない俺もバカなんだ。どうしよう、嬉しい」
「ならいいじゃないか。愚か者同士、一緒に生きていこう」


 冷めはじめた緑茶を二人で飲みながら、真田は話す。
 必要最低限のものしか揃えていないから、殺風景なこと。
 二人だけの家だから小さくていいけれど、幸村の為に庭のある家を探したこと。
「家の中を案内しよう。それに、お前はもう休んだほうがいい」
 荷物を持って真田が立ち上がった。
 1階は広いリビングとダイニングキッチン。南向きのリビングからカウンターの向こうのキッチンまでが一部屋になっている。
「バスと寝室は二階にある」
 階段を昇ると廊下と3つのドアがあった。一番奥がバスルーム、向かい合わせにトイレと寝室の扉。
 二階には部屋が1つしかなく、南側と東側は大きな窓で明るく暖かかった。この家を設計し、事情があって引っ越す為に譲ることになった前の持ち主は独り暮しで、思いきって二階は大きく1部屋で造ったということだ。真田がこの家を選んだ理由も、広くて陽当たりのいいこの部屋を気に入った、からだった。
 そこを衝立で仕切り、半分を寝室に、半分を仕事場にした。1階の閑散ぶりと違って、仕事場部分はデスク、パソコンから周辺機器まで配置されていて、小さなオフィスだけがこの家の中で使われていた。
 あえて個々に部屋を分けなかったのは、幸村の看病をしながらでも仕事ができるようにという配慮だ。
「……驚いた」
「何がだ?」
「真田が意外とこういうインテリアのセンスがあったこと」
「……」
 幸村の知っている、真田の実家の彼の私室は畳の和室で、机から掛け軸に至るまですべて純和風だったからだ。
「あと、ベッドが1つしかないこと」
 ……もちろん、二人用サイズだ。
「言い訳ではないが、ここにベッドを2つ置くと向こうに書斎が作れなくなる」
「そうなんだ。……そっか」
「やはり不満だったか。お互いプライベートな場所があった方が良かったか」
「そうじゃないよ。真田の鈍感」




 幸村の持ち帰った荷物をひととおり広げ、クロゼットに片付けるものはそのまましまい、洗濯物や洗面道具などを持って真田は立ち上がった。
「着替えと身の周りのものしか揃えていなくてな。幸村の家にあるものは改めて取りにいくことにしよう」
「うん」
 そうは言っても、ベッドとサイドテーブルだけの空間で何年も暮らしてきた幸村にとって、自分の家の自分の部屋に何か必要なものは思い付かなかった。しいていうなら、病室に置ききれずに持ち帰ってもらったお気に入りの本が棚一つ分くらいありそうな程度だ。
 真田に言われるまま大人しく着替えて、幸村はベッドに入った。
「下の部屋の片付けが終わっていないのでそっちを済ませてくる。幸村、何か生活に必要なもので足りないものはあるか?」
 やわらかい、おろしたての毛布に潜り込みながら幸村は少し考えて、それから悪戯を思い付いた子供のような笑顔で応えた。
「プロポーズ」
 平然と。

「二人で暮らす家に連れて来られて、さあ一緒に生きていきましょうっていうのに、真田は何も言ってくれない」
 この答えに真田はいささか面喰らったらしい。いつも真田が頭を抱えたくなるような、幸村らしいといえば幸村らしいおねだりなのだが。
「……サイズがわからなくてな……」
「?」
「指輪を買ったら、何かいい言葉を考えようと思っていた」
 そして真田は横を向いてしまう。その首筋まで真っ赤だ。
「今日はゆっくり休んで、明日、調子がいいようだったら二人で買い物に行こう」
 幸村はその答えにひどく満足したように笑顔を見せると、明日の為に身体をいたわるべく休息が必要だというわけで、毛布を鼻まで引き上げて眠る体勢に入ったのだった。






01より前の話でした。




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