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【憂鬱な幸福感】 目が覚めると、ぎゅうと抱きしめられていることに気付いた。 筋肉質の固い腕。 竹刀を置いて、ラケットを置いて、たぶん幸村より重い物を持つことはないはずなのにどこで鍛えているのか、たくましい腕。 この腕を独占できるのは世界でただひとり、自分だけなのだと思うと、幸村はそれだけで幸せになる。 自分でもおかしいぐらい、真田がいとおしくてたまらない。 それにしても、苦しい。真田はまだ眠りの中にいて無意識なのだろうけれど、こんなに力強く拘束されていたら寝返りどころか身じろぎすらできない。 (とりあえず息苦しいなぁ……) 幸村は、その腕からの脱出を試みることにした。 もぞもぞと身体を動かしてみると、案外いろいろと厄介なことに気がついた。なによりまず第一に二人は全裸で密着している。行為の最中はそれでいいのだけれど、翌朝、正気に戻るとこれはかなり恥ずかしい。脚に当たっているのは多分真田のアレだ。 (起きてくれればいいのに。あっ、叩き起こせばいいのか) 少しだけ申し訳ない気持ちになった。ニワトリより元気なんじゃないかと思うほど早起きの彼と、朝にめっぽう弱い自分。真田の寝顔をこうして彼の腕の中から見上げることなんて滅多にない。 いつもと逆なのにはちゃんと理由がある。 最近の真田は、仕事がとても忙しかった。遅い時間に帰ってきても疲れていてすぐに寝てしまう。同じベッドで眠るようになってから今までこんなに放っておかれたことがなかった幸村はちょっと色々心配だった。具体的に言うと、このままずるずるとナシになってしまうのではないか、とか。それはちょっと勘弁してほしかった。 そういう訳で、昨晩は、珍しく幸村のほうから具体的におねだりをしてみた。真田の好みは清楚でおしとやかなのがいいと知っていたから、けっこういい子の振りをしていたけれど我慢の限界だった。 幸村と同じ期間禁欲生活だった訳で、真田は同じくらい飢えていた。積極的な幸村をおおいに喜んだ。なんだかんだとお互い張り切って、気がついたら、本番だけでも3回? あとはいちいち覚えていない。 始めたあとで、幸村はすこしだけ後悔した。なんだかんだと自分が頑張っても、結局いちばんあれこれと動いて疲労するのは真田のほうなのだ。自分から誘ったのだから、真田にはどーんと横たわってもらっていて自分から仕掛けるという方法もあったかもしれないが、実は幸村は真田に求められるまま、というスタンスでここまでずるずると来てしまったので真田を脱がせるところまではなんとかうまくいったものの、結局自分が主導権を握ることはなかった。 マンネリ化しないためにも、やっぱりそういうのも頭にいれておくべきだったな、と、反省させられたりもしたのだけれどそんな事でくよくよしていたのは一瞬で、結局真田にはされるほうがずっと気持ちよかったし、真田はなんだかんだいってもそういう方が好きなようなので、これでいいのだ、というか久しぶりですごくイイかもしれない? あとはなるようになれで夜は明けたのだ。 そして幸せなままうとうとと眠りについてから今に至る。 「真田、ねえ真田、起きてくれないかな。ちょっと苦しいんだけれど」 幸村は長考せず、熟睡している真田に声をかけることを選択した。 「……ん、む?」 少しだけ夢の中から現実に引き戻された真田は、無意識で、腕の中にいるのが恋しくて恋しくてたまらない人だと認識する。真田はとても幸せだった。長い長い遠回りをしたこともあったけれど今はこうして一緒にいられる。抱きしめた身体、髪の匂い(同じシャンプーを使っているはずなのに、どうして幸村はこんなに甘い香りがするのだろう)、汗の匂い、しっとりした肌、自分よりすこし冷たい肌、なにもかもがいとおしくて、抱きしめる腕に力が入る。幸村の希望とは真逆の結果になってしまった。 「ちょ、く、苦しいって。真田っ」 真田はそのまま顔を寄せてきて、幸村の頬にほおずりをした。 (!) そこで、幸村はおもいきり正気に返った。 「離れろよ! あつっくるしいから!」 全力でもがいて、逃げる。 一番じたばたと動かしたのは拘束されていない脚で、思い切り「えいっ」と力をこめた次の瞬間、真田は「ううっ!」とうめいて目を白黒させてしまった。 幸村の膝は大事な大事な真田のアレを蹴り上げてしまったらしい。 「……すまない、寝ぼけている間になにかいやがることをしたのか?」 やっと、どうにか落ち着きを取り戻した真田は、パンツ一丁でベッドの上に正座していた。 こちらもパンツ一丁……に、「肩を冷やすからなにかはおらんか!」と言われて、いつものやりとりで面倒ながらもパジャマの上だけをだらしなくひっかけた幸村が正面に座る。 「……別に」 ちょっと苦しかったことを除けば、別に困ることなどなにもされていない。急所を攻撃など過剰防衛にもほどがある、と、幸村は真田への言い訳を考え中だった。 おもいきり拒絶反応をしてしまったのは、たったひとつだけ幸村の中にあるコンプレックスを刺激されたからだ。 朝の真田は嫌いだ。微妙に顎の下あたりがくすぐったい。 あれだ、ヒゲがイヤなんだ。 真田のヒゲが嫌いというわけではない。 それは男性にはあってしかるべきものなのだから。 だから幸村は自分にヒゲがないのに少しだけ劣等感を抱いている。 幸村が病気で倒れたのは、まだ14歳になる前の冬だった。 ほとんど症例がなく、最終的には正式な病名すらもらえなかった「〜に酷似した」それの治療は、試行錯誤だった。 いろいろな薬を投与された結果、幸いにも命をつなぎとめることができたが、思いがけない副作用に気付いたのはそれから2年ほどたってからだった。 中学に入ってからのびはじめた身長は、倒れた日を境にぴたりと止まってしまった。ひとつ年下の赤也に身長を追い越されたあたりで、何かがおかしいと自覚した。皆と話していても自分だけ声が違う。テノールにすら届かないアルトのままだ。体付きが違う、そういえばいまだに脇も脚もすべすべのままだ。身体に異変があったら相談するようにときつく医者に言われていたけれど、異変がないことが異変なので、幸村は迷わず担当の医師に相談をした。 いろいろと検査をした結果、迷走した治療の副作用で男性ホルモンに異常をきたし、精通を迎えこれから身体が男らしくなってゆく筈の時期に成長が止まってしまったのだという結論にいたった。 医療ミスではないかと幸村の両親は激怒したが、幸村本人は結論さえ出てしまえばあとはけろっとしたものだ。 命があるだけもうけものだ。声も体毛も生きて行く上でなんの必要もないのだから。 (そういって自分も周りも納得させたくせに) 建前は「感触が気持ち悪いからヒゲ剃るまで頬擦り禁止」と言い渡していたが、本音は単に自分の劣等感を煽られるからだ。 「何にせよ俺がお前を不快にさせたのは事実だ、謝ろう」 真田はいさぎよく頭を下げた。 「そうやってなんでも先回りして謝ればいいと思ってる。なんでも自分が謝ればいいとか思ってない最近?」 確かに、真田は幸村の言いつけを破ったのだけれど、だけれどそれは真田だけのせいじゃない。真田が一方的に謝れば終わる問題ではない。 「眠ってる間ぐらいもっと自由でいてもいいんだよ」 夢見心地で幸村を腕の中に抱いていた真田の気持ちはどんなものだっただろう。幸村自身は今、だいぶすっきり目を覚ましたこの瞬間でさえ、目の前でまるで叱られて尻尾を垂らした子犬のように見えるでかい図体をぎゅっと抱きしめて全身にキスをしたい気持ちで一杯なのだ。寝ても醒めても。深い眠りの中にあっても、真田の愛情は絶え間なく幸村に降り注がれている。こんな幸せなんて、他にないのに。 「なんのことだ」 「こんなに俺を骨抜きにして。真田のくせに」 「だから、さっきからお前の言うことがさっぱり俺には理解できん」 真田はきっとホモじゃないから、男なんか好きじゃない。骨太の声でエッチの最中にあんあんと声をあげたら、きっと萎えてしまうに違いない。もさもさと毛のはえた手足を抱きしめても嬉しくない、幸村の無精髭なんかきっと見たくもないだろう。中途半端に男になれなかったおかげで、自分は自分の性別のままで真田にまだ愛してもらえている。 病気になってよかったとは一生思えないけれど、治療に携わった医師たちに感謝こそすれ、恨む気持ちは全くなかった。 (だって生きている。まだ恋をしていられる) そこまで自分の中で順序だてて気持ちを整理して、幸村はやっとひといきついた。 堅物だった真田が、頬擦りもキスも、スキンシップも大好きだということを知ったのはふたりで暮らし始めてからだ。昼間だから、人目があるからというたてまえは本当に建前だけで、誰も来ない二人きりのプライベートな空間では幸村もびっくりするほど情熱的に愛情を表現するのだ彼は。 「真田愛してる!」 彼の頬にくちづけた、くちびるが少しだけチクチクした。 朝なのによさんか、と真田が言うかなと思ったけれど、真田は何も言わないで幸村のキスを受け止め、そしてくちびるに三倍返しで応えた。 羽織っただけのパジャマはあっというまに床に落とされ、かわりに幸村の肩を包むのはあのたくましい腕。 「眠っていても起きていても、俺の気持ちは変わらんぞ、幸村」 また夜が来て、朝が来て、二人の日々は積み重なってゆく。 真田を受け入れるにはちょっと不具合の多すぎる身体も、苦痛なのは最初のうちだけだった。病気とコンプレックスを抱えた幸村を、そのまままるごと真田に慈しんでくれる。 でも真田が入ってくる瞬間、幸村は少しだけ思った。 (おれたぶんもうすぐ死ぬと思うけど、今度生まれてくるときは色々面倒がないしできれば女の子がいいのかなあ) back |