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【彼女の恋人】


「それではすまないが、幸村を頼む」
 駐車場から車をまわして、店の前へ停まった車の助手席のドアを開けながら弦一郎は言った。これは俺の車だ、と、内心主張してみたが、今はそんなことを言っている場合ではないのだから弦一郎の振る舞いも仕方がないだろう。
 大きく開けたドアから助手席に座る----というより倒れ込むようにして乗ってきたのは、ここまで弦一郎に半分抱かれるように支えられてなんとか歩いてきた精市だ。
「ごめん、れんじ、……真田も、せっかく、久しぶりに、楽しかったのに……」
 そう。久しぶりだった。楽しかった。最後の最後でこんな展開になるなんて予想もしていなかったから。
「大丈夫か」
 車を停めていたコインパーキングの入り口にある自動販売機で小銭を作るため、と言い訳をして買った、ミネラルウオーターを渡す。
 冷たいボトルを頬から首筋へ当ててやると、精市は気持ち良さそうに目を細めた。


 3人で会おうという話をもちかけたのは俺からだった。仕事で取引相手と食事をした時に使ったイタリアンの店が気になっていた。なんでだろうと思い出してみたら、そうだ、精市が好きそうな店だったと気付いたのだ。
 それで自分から連絡をとった。
 弦一郎に。
 精市と弦一郎とのつきあいはもう10年以上になる。俺も含めて、3人は中学校時代からの友人だが、精市と弦一郎の関係は、俺と精市や俺と弦一郎との関係とすこし違う。
 ふたりは、ふたりだけの特別な関係だった。それを他人に説明するときに言葉を選ぶのが面倒だから、ひとことで片付けてしまうなら「恋人同士」という形容がいちばん近い。お互いを好きで仕方がなくて、心も魂も、肉体も惹かれ合い、キスも多分セックスもしているのだからほぼ間違いはないのだが。
 高校までは学校で顔を合わせることが多く、3人で過ごす時間も多かった。別の大学に進んでからそれぞれ道がわかれ、当たり前のように一緒にいる時間は減っていった。精市と弦一郎の二人はともかく、俺と「二人」は意識して連絡をとらなければ、数ヶ月音信不通などということもある程度の距離ができてしまった。
 二人は二人で、一緒なのだから、きっと離れてしまうことはないだろう。
 その二人に、もともと俺達は三人だったのだと、だから忘れないでくれと、しがみついているのは俺だけなのだろうか。いつまでも甘酸っぱい青春時代の残像を追いかけているつもりは決してないのだが。
 一番社交的な精市が、美味しい店をみつけた、そろそろ真田と蓮二の誕生日だから一緒にお祝いしようよ、と提案してくることが多かった。呼ばれなければ、俺から食事をしようなどともちかけることはほとんどしない。俺が誘わなくても二人は二人だけで計画をたててデートを重ねていることくらいわかりきっているからだ。その二人を誘って、自ら寂しいひとりものの疎外感を味わうこともないだろう。
 でも今回は違った。雑誌やマスコミで騒がれるのを嫌い一部の口コミでしか評判の伝わらない隠れ家的な店をみつけた。そういえば、前に3人で会ったのは2ヶ月前だった。ちょっとした偶然みたいなものが重なって、俺はひさしぶりに携帯電話のアドレス帳から親友の名前を呼び出した。
 なんとなく、というより多分そうだろうな、と思って、メールではなく電話にした。予想どおり、相手は5コール目で電話に出た。この曜日のこの時間なら、携帯電話が鳴ってから応答するまで10秒程度、俺のデータ予測能力はまだ鈍っていないらしい。
「ひさしぶりだな。いい店をみつけたんだ。精市が好きそうなところで、思い出したらたまには3人で食事でもどうかと思ったんだ。良かったら、お前と精市で都合のいい日を選んでおいてくれないか?」
 返事は----ここまで予想どおりだった。
「ああ、ちょっと待ってくれ。……と……で、……、ああ、蓮二だ。いつなら都合がいいかと……。ああ」
 電話の向こうの弦一郎、その向こうに精市がいる。
 声は聴こえないけれど、弦一郎と会話をしているのがわかる。
 ----ああ
 ほんのすこしだけ、胸が痛い。
 誘わなければよかった。俺も弦一郎も好きではない、スイーツ脳の若い女性が好きそうなイタリアンの店のことなど忘れてしまえばよかったんだ。
 ただ男同士というそれだけを除いてどこにでもいる幸せなカップル。俺はいつもひとりぼっち。精市は親友じゃないかと笑うけれど、俺はそれ以上の複雑な気持ちを抱えていることに、この二人は10年以上経っても気付いていない。
 予定は次の週末で決定した。予約は俺が入れることになった。待ち合わせは店にいちばん近い駅になった。
 絶対に飲むことになるとわかっていて、わざと車ででかけた。帰り道、その駅から同じ路線で精市と弦一郎が逆方向になり、精市と二人きりになるのが嫌で、精市と弦一郎が俺を残して二人で一緒に帰るところを観るのがもっと嫌だったからだ。


 だが事態は俺の予想よりちょっと斜め上の展開になった。
 久しぶりだったこと、店の雰囲気が気に入ったこと、選んだワインがまた値段の割にとても精市の好みであったこと。車だからと断って乾杯の時にひとくちだけグラスに口をつけた俺と、ワインはあまり好きではない弦一郎。精市は食べるものにはほとんど手をつけずに2本目のボトルを注文し、結果、最後のデザートが出て来る頃にはフォークを持つ手が宙を描く立派な酔っぱらいに出来上がってしまった訳だ。
 弦一郎が抱いてでもおぶってでも家まで送り届けるのが役目だというのは建前で、いい大人がどうしようもないほどべろべろに酔っぱらった男を抱えて電車に乗るのはみっともない。「蓮二、車で送っていってやれないか」と弦一郎が言うと、精市がいまにも涙がこぼれそうなほど(酔い過ぎで)潤んだ瞳で「苦労かける……」とつぶやいてそのままテーブルに突っ伏してしまった。
 弦一郎がここは俺が払う、と譲らなかったので会計(と、レジ前のベンチで相変わらず崩れている精市の面倒)を済ませている間に俺は近くのコインパーキングに停めてあった車を取りにいく。精市は飲み過ぎて吐くタイプだったか、もし吐かれるならできれば車に乗る前にしてほしい。それとも店を出る前に洗面所で一度出すものを出させたほうがよかっただろうか。もったいない、と拒まれるだろうな。
 乗り心地で選んだけれどそんなにいい車ではないから、酔っぱらいには多少厳しいかもしれないけれど、我慢してもらおう。などと考えながら。


 精市がひといきついて、落ち着いたのを見届けてから弦一郎は助手席のドアを閉めた。俺は運転席側のスイッチで窓をあけてやる。
「心配しなくてもきちんと安全運転で家まで送り届けるさ。お前は乗らないのか」
「俺の家は反対方向ではないか」
「精市を家に送ってからでいいなら一緒に乗っていけ」
「そうすると今度は蓮二が遠回りになる。俺の家はここから二駅だから心配しなくていい。幸村を頼む」
「ああ」
 では、またな。と別れの挨拶をしても弦一郎はまだ心配そうに窓越しに精市を観ている。
 そんな弦一郎を観ていたくなくて、俺はさっさと窓を閉め、ゆっくり車を発進させた。


 いくら酔っているからといって。
 いくら親友なのだからといって。
 ----こんなに簡単に他の男の車に乗れるのか。精市も、弦一郎も。
 何もしやしないさ、ちゃんと家まで送り届けるだけだ。
 目の前の赤信号に、俺は車と同時に理性にブレーキをかける。


「ん、んー、あれ……なんで蓮二の車に乗ってるの? 真田は?」
 呂律の回らない口調で精市がほわりと呟いた。
「少し眠って酔いがさめたか? 弦一郎は電車で帰った。そのほうが早いからな」
「あ、うん、ホントごめん。俺ひとりで浮かれて酔っぱらって、迷惑かけた」
 そして手にしている、少しぬるくなったミネラルウオーターのペットボトルの口をあける。水をひとくち飲んでから、それが自分で買ったものではないことに気付いてまた「ごめん」をひとつ追加した。
「相変わらずだな」
 俺は車を運転しているから当たり前だけど視線は前方を向いたまま答えた。右折してきた対向車に気をとられて、一瞬言葉を選ぶのを怠った。ぶっきらぼうにきこえた言葉はさらに精市を自己嫌悪に追い込んでしまった。
 次の信号で停車したとき、やっと精市のほうを向くことができた。
「俺と精市は同じ方向だから迷惑だなんて思っていないから。途中で襲われて喰われてしまいましたなんて誤解されないように、家に帰ったら弦一郎に電話かメールしておけよ」
 いつもの馴れ合いの延長、冗談のつもりで言ったつもりだが、精市は真正面から言葉を受け止めて反論してきた。
「蓮二はそんなことするやつじゃないよ」

 そうだよ、精市。俺はそんなことはしないよ。
 ----精市、お前に対しては、絶対に。

「今夜は満月なんだ。夕方まで雨だったから空気が奇麗なんだね、ウサギまで見えそうだ」
 フロントガラスの向こうの満月を精市はうっとりした瞳でみつめる。
 その瞳で、その表情で、お前はあいつの心を釘付けにして、捕えて離さない。
 綺麗な精市、誰からも慕われ、愛される精市。
 どうして、お前だけが選ばれた人間なんだ。
 ただ自然に、自分の気持ちのままに生きているだけなのに、お前は全ての欲しいものを手に入れてきた。テニスも、恋も、なにもかも。
 綿密に計画をたて、データで予測し、不可能を可能に修正して生きてきた俺とは正反対の精市。俺とて、その気になれば、どこかでこの不毛な感情を清算することができたかもしれない。

 だけど俺が一番欲しかった弦一郎は、俺の親友なんだ。

 思春期と呼ばれる時期から今まで、たくさんの人に出会った。あれから10年、もう10年以上、どうしても忘れることも踏み切ることもできない自分、大嫌いな自分。

 弦一郎が自分のものにならないことぐらいわかっている。
 もし今、それとも10年前のあの時精市が倒れた時に精市が消えてしまったとしてもそれはきっと変わらない。
 ならば、いっそこのまま精市を連れて、どこか遠く、弦一郎の手の届かないところへいってしまえたらいい。
 弦一郎は失った精市を探して探して、一生探し続けて、弦一郎の心はもう他の誰かのものになることはない。
 弦一郎の心が永遠に求めているものと、永遠に誰のものにもならない弦一郎の心の両方を俺は手に入れて、そして二度と弦一郎に会うことは叶わない。それでも構わないからこの関係性を歪めてしまいたいと衝動的に思ってしまうことがある。
 こんな風に無防備に精市を俺の前に差し出されると。そしてそんな精市を、俺を信頼して俺の気持ちを知らずに預けてくる弦一郎を見ると。
 お似合いの二人をみて羨ましいと思う気持ちは若さと一緒に過去のものになった。それなのに残されたのは仄暗く歪んだ感情、ただの妄想。
 永遠に俺と弦一郎が一線を超えることはない。
 それでいい。それしか行く先はない。

「蓮二、送ってくれてありがとう」
 精市の家の前で車をとめると、大分回復したらしい精市が背もたれから身体を起こした。
「飲み過ぎたのがみつかって家の人に叱られないように、静かに部屋に帰れよ」
「うん。素敵な店に誘ってくれてありがとう。また連絡するから、今度は和食にして、真田を日本酒で潰してやろう」
「それはなかなかおもしろそうな計画だな。楽しみにしている」
 少し休んで落ち着いたようで、なんとなくまだ酔っているようだが、もう自分で助手席のドアを開けて、車を降りる。
「あっ、ペットボトル……」
「いいよ、俺が捨てておくから。それでは精市、またな」
 精市がドアを閉める。
 すぐに車を発進させた。バックミラーでちらりと後ろをみると、精市はもうすぐに家に入ってしまったようだ。
 どの道をどう通って戻ってきたのかすら覚えていない。意識しなくても身体が覚えている何度も通ったいつもの道を辿って、気がついたら自分のマンションのすぐ近くの国道で赤信号が変わるのを待っていた。
 薄く開いた窓から入っては出ていった空気が車内のアルコールの臭いをほとんど消し去り、残された精市の痕跡はカップホルダーに残された半分とちょっと飲んだミネラルウオーターのボトルのみ。
 このボトルにくちづけた、あの唇は、弦一郎に触れたくちびる。弦一郎が唯一触れるくちびるなのだ。
 衝動的にそのボトルの水をひとくちだけ飲み込むと、俺は俺が手に入れることのできない彼を独占している精市が消えてしまえばいいのにという気持ちを振り切るように、ペットボトルを窓の外、中央分離帯の植え込みに捨て去って信号が変わるのと同時にアクセルを踏み込んだ。







※窓からゴミの投げ捨てはマナー違反です。

登場人物は全員男性なので「彼女」は登場しません。
マッキーの「彼女の恋人」という歌が
私にはこう聴こえてしょうがないという
斜め上の解釈を3強で演じてもらいました。

真幸前提ですが、気持ちだけほんのり蓮華にするつもりが
どっぷり蓮華語りになってしまいました。
(20080608)




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