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【三月の雪】 「ゆきむら」 小さな声で名前を呼ばれた。 もし深く眠っていたなら、きっと気付かないような声。 ただ目を閉じていただけなら目を開ければいい。 それが、「やあ、よく来たね」の合図。 本当はまぶたを動かすのも億劫だったけれど、そうしないと彼は何もせず、黙って帰ってしまうから、俺はゆっくりと目を開けて声の主を探した。 思っていたよりずっと近くに、真田の顔があった。 「起きていたのか。ああ、しゃべらなくていい」 「……」 「家の庭の梅が綺麗だったので貰ってきた。花瓶を借りる」 そういって真田はベッドサイドの棚から花瓶を持って、部屋を出ていった。 真っ白な天井。スタンドにぶら下がった点滴から、チューブが俺に向かってまっすぐに下りている。 「ここに置かせてもらうぞ」 視界の端に紅白の梅の枝、そして真田。 そのまま真田は近くにあった椅子に腰を降ろした。 「今日は急に寒くなったからな」 いつもの点滴と違うパックがもうひとつあることに気が付いた真田がふと言った。 「このまま春になると思っていたのに、時折思い出したように寒くなる」 発熱のため、頭のてっぺんから足の先までじわじわとした関節の痛みに苛まれている俺に響かないように、声のトーンを抑えた静かな話し方。 真田は、ふと、俺の方に手をのばそうとして、止めた。 うん。触らないほうがいいよ。 ごめんね、あまり綺麗じゃなから。 「こんなにたくさん……」 「?」 「ああ、ここにも。幸村の身体を、こんなわけのわからぬ線で幾つも縛り付けて……」 「----」 「こんなもの」 真田が、その、コードの一本を握った。 「全部斬り捨てて、お前だけをここから攫ってどこかへ逃げてしまえたら」 そのまま。 辺りは、ベッドサイドに置かれた機械の電子音だけに支配された静かな世界になった。 真田は、俺に繋がった幾つものコードに触れそれを伝って直に俺に触れた。そっと。 「……過激なことを言って、済まなかった」 そして、立ち上がる。 「寒いのも2、3日だろう。気をつけて暖かくして休んでくれ」 うん、分かった。 上手く笑えただろうか。ちゃんと伝わっただろうか。 真田は小さく頷いて、「また明日」といって帰っていった。 面会時間の終わりを告げる放送が聴こえた。 機械に送り込まれるエアのなかに、ほのかに梅の香を感じた。 この春は、真田の家の春だ。 もしもどこかへ連れていってもらえるなら、あの庭がいい。 この梅が咲いている庭を、真田に案内してもらおう。 そんなことを考えながら、俺はまた目を閉じた。 相変わらず幸村が病人で、真田は病んでいます。 文中に「痛み」という表現がでてきますが まだ幸村の病気がGBSだと発表される前だったので てきとーに書いておいた「症状」です。 再録にあたってちょっと手直ししました。 (20040301) back |