|
【SLLEPING BEAUTY】 病室のドアを開ける。 片手には、学校の最寄り駅前にある甘党の間では密かに有名な洋菓子屋の箱。昨日電話で話した時に、珍しくご丁寧に店まで指定して食べたいものを幸村の方からねだってきたのだから、手ぶらという訳にはいかない。 むしろ、あの幸村が見舞いに何を持っていけば喜ぶか、考えても考えてもなかなか思いつかない不器用な自分にとって、幸村の方から何が欲しいか言葉にしてもらえる方がありがたいのだ。 と、真田は思う。 専用の個室のドアの向こうに、カーテンのつい立てがあり、その向こうのベッドの上に幸村がいる筈だ。 ノックをしたけれど返事がなかった。ドアを開けて勝手に入ってしまったけれど、いつもの彼がするように「どなたですか」とも尋かれなかった。 一瞬ためらったがここまで来てしまったのだからもう帰る訳にいかないだろう。 真田はカーテンの向こうをのぞきこんだ。 やわらかな午後の陽に包まれてすやすやと眠る、幸村の姿がそこにあった。 「眠っていたのか……」 タイミングが悪かったな、と真田は呟く。声に出して言った後で、自分の声で彼が目を醒ましてしまったらいけないと、慌てて口を塞いだ。 肩から通学鞄も兼ねているテニスバッグを下ろしてなるべく音をたてないようにそこに置くと、次に持ってきた洋菓子の箱を開ける。保冷の為に中に入っていたドライアイスは、この熱さでデリケートな菓子が傷まないよう多めに入れられていたのか、それとも学校前の駅から電車とバスを乗り継いでここまで来る道程がスムーズで真田の想定していた時間より短かったからか、だいぶ残っていた。 [すぐにお召し上がりにならない場合はドライアイスを取り除いて冷蔵庫に保管してください] 洋菓子の箱に貼られた賞味期限の書いてあるシールにそう書かれていたから。 冷蔵庫には、何本かのペットボトル飲料と熱冷ましのジェルシートが入っていたが、数個のケーキが入った箱を入れるスペースは充分にあった。 そうして、必要なことを片付けてしまうと、あとは何もすることがなくなってしまう。 あまりにも暇だったので、取り出したばかりのドライアイスの入った小袋を持って部屋に備え付けの流しに向かった。置かれていたマグカップに水を注いで、そのなかにドライアイスを落とす。 水の中でドライアイスはコポコポと音をたて、白い煙がコップの縁から溢れてくる。 ベッドの側に戻って、サイドテーブルの上に置いてからそこにあったパイプ椅子に腰掛け、ぼんやりとそれを眺めていた。 座る真田、眠る幸村。 もうすぐ夕焼けに変わる傾いた日射しの中、ふたりの間を白い煙が流れてゆく。 キスしたい。 勿論眠っている彼に断わりもなくそんな不粋な真似をする真田ではなかったが、堅物の彼らしくもないそんな欲望に捕われることも、ない訳ではなかった。 たとえばこんな時のような。 そう。掴めない白い煙のように、静かに溢れては消えてゆくそれを見ていたから。 不安になったのだ。 幸村はここにいるではないか、寝息は安定しているし、顔色はすぐれないが決して苦しそうな様子はない。 それなのに何故。 何故。 幸村が目を醒まさないからだ。 誰にでもやわらかな笑顔を向けるけれど誰にも本当の心は向けなかった彼が、あどけない寝顔を無防備に晒しているから。 そこに触れて、彼がまだ生きているそのことを確かめたかったのだ。 暫くの時間が過ぎ、ドライアイスが減り煙も少なくなってきた頃、静かに眠っていた幸村が目を開けた。 「……ん……」 瞬きの音さえ聴こえそうなほど静かな時間。 「真田……?」 「ああ。勝手に入らせてもらった。済まない」 「謝ることはないよ。こちらこそ、見苦しい姿で申し訳ない」 「入院している奴が寝ていても見苦しいと責める奴はいないだろう。眠れるなら眠っていろ」 「ありがとう。でも今眠ってしまうと、夜眠れなくなるからやっぱり起きるよ」 幸村はそう言って上半身を起こした。真田はその背中に枕を重ねて置いて、寄り掛かれるようにしてやる。 「夜はきちんと眠れているのか」 真田の問いかけに幸村は曖昧に笑った。返事はそれで充分だった。 「眠れないならきちんと主治医と相談したほうがいいだろう。もうすぐ手術も控えているのだから、きちんと睡眠をとって体力をつけておかないと……」 「そういう意味で眠れないわけじゃないんだよ」 幸村の視線はおびえたように揺れている。 「そうだな……。でも、不安なのかもしれないね。麻酔をして、眠って、そのまま目を醒まさない自分を想像したら、夜眠るのさえも恐くなってしまった。手術の日が近付くごとに、その気持ちは強くなってゆく。だからこうして昼間からウトウトとしてしまうのかもしれない」 そこまで一息に告白すると、不意に視線を泳がせ、そして幸村はベッドサイドの小さなイリュージョンに気付いた。 「……ふふ」 「どうした?」 「俺が眠っているあいだ、こんなものを眺めていたのか、真田は」 幼子のようなたわむれを見付かってしまったような気持ちに気付かれないよう、相槌がぶっきらぼうになってしまう。 「……ああ」 「なんだかかわいらしいな。そういうところも、好きだよ、俺は」 「……」 「うん、俺、真田が好きなんだ」 『自分』と『好き』を、強調するように、自分の言葉を確認するように、幸村は繰り返した。 「わかったから、何度も言わなくて、いい」 「言えるうちに何度も言っておくんだ」 「……」 「倒れる前に、もっとテニスをしておけばよかった。読みたい本もあったし、やりたいこともいっぱいあった。……起きていると、考えることは無限にあって、そういうこともたくさん思い出す」 長い入院、手術前の不安、いろいろなものが重なって、とても精神的に不安定だ。 「いやだ、怖い。死にたくない。俺、まだ14になったばかりなんだよ。好きな人ができて、すごい幸せだったのに。どうして、どうして……」 涙を堪えて、てのひらで顔を覆ってしまった幸村を、真田はそのまま抱きしめた。 幸村が倒れてから、もう半年。 病室の中で、医師でも看護士でもない自分が幸村のどの部分をフォローできるのか、把握するのには充分な時間だ。 真田は、慣れた。 いつ誰が入ってくるかわからない場所で、友達以上のスキンシップを与えることにためらいをなくす勇気をもつには、相当の覚悟が必要だったというのに。 それほど、彼の病気は長く、重すぎた。 分け合うことも代わってやることもできないのなら、せめて与えるくらいは惜しみなく捧げようというのが、15になったばかりの真田に出来る精一杯のことだった。 「もし手術のあと意識が戻らなかったら、俺がたたき起こしてやる。三途の川のほとりにいたら、そこまで迎えにいってやる。だから、気持ちを落ち着けて、心安らかに手術に挑んでくれ」 ひきずられてはいけない。病魔に心まで冒されかけている幸村に引っ張られて自分まで気持ちを病んでしまっては、いけない。 心の中の光を絶やしてしまったら、負けなのだ。 「手術は絶望じゃなくて希望だ。健康を勝ち取るための、戦いなんだ」 幸村が顔をあげた。 「キスして」 「……こんなところで……」 「お前の勇気と自信を分けてほしいんだ。俺はそんなに強い人間じゃない。どうしたら真田みたいに気持ちを強くもてるのかわからない」 道徳、理性、常識、そんなものに縛られていたら、立ち向かえない。 迷わず真田は、幸村にくちづけた。 触れて、そして、すぐに離れる。 「早く身体を治してくれ。弱っているお前を無理に求めてしまうような獣にはなりたくない」 もとめる、の言葉が何を示しているのか意味を察して、幸村はほんの少し頬を染めた。 表情から陰りが和らいだのを確かめて、真田は幸村の身体を解放した。 少し過激な事を言ったりやり過ぎたのかもしれない。後から猛烈に沸き上がった恥ずかしさをどうしたらいいものかと、今度は自分が顔を覆いたくなってくる。 「ありがとう。ありのままの君ときちんと向かい合えるよう、取り戻すために、頑張らないとね」 幸村の返事は、上々だった。 それが上辺だけのものであり、また明日ここに来た時には、幸村は今日と同じことを繰り返す。病に怯え、未来に絶望し、かなしみを訴えるのだ。 それでも構わない。 百年眠ったお姫様だって、王子様のくちづけで目を覚ますのだ。 幸村の闇も無限ではない。 できることならば、自分が朝を告げる光になりたい。 明けない夜は無い。真田はそう信じている。 「……そうだ。昨日電話で話していた店で、ケーキを買ってきた。冷蔵庫に入っているから、夕飯を残さずいただいてからおやつに食べてくれ」 「それでドライアイスがここにあったんだ」 「何がいいのか迷ったのだが、結局……」 二人の会話はそこで打ち切られた。 「幸村くん、面会時間は過ぎてますよー」 看護士だった。 「! も、申し訳ありません」 「何回も続いたら、その帽子君、出入り禁止にさせてもらいますからね」 「それは退屈な毎日になっちゃうね。じゃあ真田早く帰ってよ」 「……。ああ、まあ、わかった。長居してすまなかった」 病室を出る真田の背中に、幸村がもう一度言った。 「ありがとう。手ぶらでいいんだから、また来てほしい」 友達同士のじゃれあいだと思っているらしい看護士が、そのノリにあわせて何かふたりをからかうような事を言っていたが、それらは真田の耳を素通りしていった。 病院の建物を出ると、外はすでに薄暗くなっていた。 夜が来る。 幸村が眠れないと、独りでこっそり布団の中で泣く夜が。 そして明日の朝陽は、幸村の心の中までは届かない。 だから真田は、自分が太陽になるにはどうしたらいいのか、悩むばかりだ。 未発表(もっと正しくいうと未完成)のまま放置されていたもの。 2003年11月当時の情報しかない段階での間違った幸村像をお楽しみください。 原作でいうと「苦労をかける」の1話「のみ」だったのではないかと、 まだファンブック20.5すら発行されていない頃に書いたものです。 この時期に書いたもののなかではめずらしく幸村の一人称が「俺」でした。 (20031124/20080616rewrite) back |