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【Yes,yellowisourcolor.】


 俺、切原赤也は今、小遣いの残りありったけを握り締めて花屋の前に立っている。


 つい数日前に今月分の小遣いをもらったばかりなのに残額がすでに3桁しかないのは、待ちに待った新作ゲームを買ってしまったのと、喜び勇んでプレイしようとしたら本体を落として壊してしまって、急遽買い替えたからだ。
 遊び終わったソフトを中古ゲーム屋に売れば今月の残りはなんとかなるだろうと頭の中で勘定していたのだけれど、大事なイベントをすっかり忘れていた。


 植物が好きだというあのひとの誕生日。
 尊敬する幸村部長の誕生日。


 勇気を振り絞って、一歩、店内に踏み込んだ。


(バラ680円って……高ェ!ジャンプ3冊買えるじゃん!)

 こんなもん花束にして贈ってる奴はどれだけ金持ちなんだ、と、まだ中学1年生の俺は思った。ガキの小遣いでホイホイと買えるレベルじゃない、と、先日買ったゲーム機の値段を棚に上げてみる。
 それにしても、居心地が悪い。
 カラフルな花がずらりと並ぶ店内に、若い女性の店員が2人。静かに流れるクラシックの音楽、なにもかも普段生活している空間とかけ離れすぎている。
 店員サンも、入った時に「何かお探しのものはございますか?」と声をかけてきたものの、緊張して返事すらできなかった俺を見なかったかのように振る舞って注文が決まった客から声をかけられるのを待っている。


 俺は、どうしようかと迷ったけれど、自分が誰かに花を贈った記憶で唯一存在するもの、カーチャンに渡したことがあるあれは……と記憶を辿って、たくさんの花の中から数少ない見覚えのあるその花を選んだ。
 ふわふわ花びらがたくさんあって、大輪で、予算の中では一番豪華に見えたからというのもある。一輪だけでもけっこうサマになるのを、昔の母の日の贈り物の赤いカーネーションで覚えていたから。
 色は、あの人にはきっと白が似合いそうだけれど、いくらなんでもそれは今この時期にあまりにも不謹慎だということくらい言われなくてもわかる。
 赤は母の日みたいだし……と考えて、結局一番元気に咲いていた黄色を選んだ。




 明日の、先輩の誕生日の当日は、他の先輩達か……多分代表してあのひとが行くと予想できていたので、抜け駆けして一日早く俺は大好きな部長に誰よりも早く誕生日プレゼントを渡すために病院を訪れた。
 さっき選んだ、綺麗にラッピングをしてもらった、カーネーションを持って。

「部長! 誕生日おめでとうございます!」

 幸村部長は、俺が来たのがすげー意外だったみたいで、びっくりしてた。
 ドアノックして、「どうぞ」って言われてすぐ入って、真っ先に言って花を差し出した。
 渡したら部長はふわって笑ってくれた。
 花が開くときもきっとこんな音が聞こえるに違いない。
 なんて、綺麗な笑顔。



 それが見られたこと、あれは部員みんなに等しく向けられるはずの極上の笑顔だ。それをひとりじめした。いろんな気持ちが混じって、俺はすげーご満悦で帰ってきた。




 その夜に副部長から携帯電話にメールが来た。
 あのひとはメールとかしないと思ってたし、部の連絡なんかは柳先輩か同じ1年同士から回るように連絡網が出来ていたので驚いた。自分の携帯電話の辞書にあの人のメルアドがあったことも驚きだ。

でも予想していなかった相手からのメールは着メロなんか指定していないから単調な呼び出し音一周だった。なんだ誰からだと思いながら携帯電話を開くと、【メール受信:真田サン】と表示されていて、俺は本当に飛び上がった。
 件名はなくて、本文に【ゆきむららの、、あのはなはなにごとだ】とだけ書かれていた。読みにくいことこの上ない。やっぱ普段からメールとか使ってないっぽいじゃん。
(つーか何で知ってるの)
【誕生日プレゼントっす。明日放課後に期末の追試の追試なんで、今日行きました】
 返信して、携帯が鳴るまで没頭していたゲームに気持ちを戻す。早くクリアしてソフトを売らないと、今月マジヤバい。普通授業がなくなったので安くて量の多い学食はすでに春休みだ。育ち盛り食い盛りの俺は間違いなく空腹で死ぬ。
 などと考えていたら再び携帯が鳴った。
【しつれいにもほどがある、けしからん】
(……なんなんですか)

 携帯メールはさらに続いた。
 次は着信音を設定している、テニス部の誰か…柳先輩からだった。
【件名イタズラか?/本文 精市はともかく弦一郎がご立腹だぞ? 赤也に電話をすると言っていたのでそれは制止しておいた。他意がなければいいのだが】
【件名re:イタズラか?/本文 もうメールで副部長に怒られました。わけわかんねーっす】
【件名 精市から/本文 写メが届いた。綺麗な黄色いカーネーション】
(うわ情報はやっ! 幸村先輩なにやってるんスか)
 ばれるなら明日他の先輩が部長の病室にお見舞いに行った時だと思っていたのに。病人はやることがなくてムダに暇なんだろう。
 今夜くらいは平穏に過ごせると思っていたのに。
 それにしても1日抜け駆けしたぐらいで、なんでこんなに怒られなければいけないのだろう。上級生二人に、アメとムチのように。
【本文/誕生日プレゼントっす。明日放課後に期末の追試の追試なんで、今日行きました】
 やけになっていたら真田先輩に送ったのと同じ文章になった。携帯の予測変換がするすると次の文章を決めてくれた。
(でも)
 あの人、真田先輩と柳先輩に写メ送ったんだ。
 どんな気持ちだったのだろう。俺が送った花は、先輩が誰か人にみせびらかしたいという気持ちになるほどあの人に喜んでもらえた、のだろうか。だとしたら、俺、どうしようとか思ったら、ちょっとニヤニヤしてしまいそうになる。
 一瞬そう思った俺の希望は次のメールで粉砕された。
【件名:気付いていないなら/本文:悪意がないなら構わない。ちなみに黄色いカーネーションの花言葉は“軽蔑”だ。花を贈るというのはいいアイデアだが、詰めが甘かったな。5月の母の日には間違えるなよ】
 本文の最初の“悪意”の2文字で、もう俺は後頭部をラケットで思いっきり殴られたような衝撃に打ちのめされてしまった。さらに“軽蔑”の言葉がトドメを刺した。正直もうオレのライフはゼロだ。
 花言葉、ハナコトバね。赤いバラが「愛してます」とかそれくらいだろ、細かい事気にするなんて男らしくない。何このきめえ先輩達と一瞬思ったが、相手は植物が趣味のあのひとと、情報が命のあの人だ。(たぶん最後のひとりは、ふたりのうちどちらかに言われて初めて気付いたのだろう)
 花屋で買うときに確認しておくべきだった! 花を選んだ俺馬鹿すぎる。と、後悔しても後の祭りだ。



 その夜は、花屋での自分の行動のムダの多さを思い返しては身もだえるの繰り返しで、結局寝付けなかった。仕方がないので朝方にちょっとだけ追試の追試の英語の勉強をした。




 その甲斐あって、英語の追試の追試は、まあまあ納得できる回答を提出できた。たぶん三度目の追試は回避できると思う。回避しなきゃ困る。週末の練習試合に出してもらえなくなってしまうからだ。3年生が引退して、やっと俺にも団体戦メンバーに入るチャンスができたというのに。


 試験が終わると、本当なら練習にそっこー参加しなければいけないのだけれど、部室に向かわずそのままダッシュで学校を出た。ちょうどよく来たバスに乗り込んで、あのひとがいる病院へ向かう。頭の中には英語の文法と昨日から考えていた言い訳がぐるぐるしていた。
 目的のバス停で降りて、また病院まで走る。病院の中はさすがに走れないけれど、早歩きで。3階の南向きの個室へ向かった。

「入ってもいいスか?」
 かけ声と同時にノックした。部屋の中から、いつものおだやかな声で「どうぞ」と返事がかえってきた。
「あれ、赤也。珍しいね。2日連続でここに来るなんて……」
 部長はニコニコしてた。俺が昨日真田副部長と柳先輩にちまちまメールでいびられてたなんて知らないような顔で。
 午後の日差しは病室を優しく包み込んでいた。真っ白で明るい病室、ベッド脇にあるテーブルの上の一輪挿しに、昨日俺が持ってきたカーネーションが生けてあった。泣きたい気持ちになる。
「すみませんでしたっ!」
 勢い良く頭を下げた。俺はまた順番を間違えた。先にカバンをおろしておかなかったから、肩からテニスバッグのベルトがずるっと滑って、カバンごと床に落下した。
「赤也、かばん……」
「俺、すごく無神経でした。反省してます! ごめんなさい!!」
「……えっと」
 幸村部長はベッドの上できょとんとして俺を見ていた。
「……なんで赤也が謝りにくるのかい?」
(はぁ!?)
 俺の頭の中はふたたび“????”状態になった。
 滅多にメールを使わない真田副部長にまでメールを書かせ、練習試合直前のこの忙しい時期に柳先輩にまでメールを書かせたはずの張本人がなんでこんなにぼんやりしているんだ。
 考えていても始まらない。俺は、とにかく言わなければならないことを順番に言った。何度も復唱したはずなのに、うまくいえなくて、頭に思い浮かんだことを全部言った。
「すみませんでした。俺、バカで。花言葉とかあるの忘れてました。花屋なんて独りで入ったことなくて、焦ってて、そんとき一番キレイで元気でそーなの選んじゃって、恥ずかしくてさっさと買い物して店出たいって気持ちで一杯で。それで、全然知らなくて、後で聞いてびっくりしました」
「何を?」
「それ、そこに飾ってある、昨日のカーネーションです」
 部長は、小さく首をかしげた。慌てずに続きをどうぞ、という意味と受け取って俺はまたまくしたてる。
「そういうつもりは全然ないんです! それだけは信じて下さい……。ホントは捨てちゃって下さい……て言いたいけど、やっぱ花が可哀想だし、せめて枯れるまで水あげてやってくれたら、いいな、って」
 言っているうちに内容は支離滅裂になっていった。俺が謝って許しを請う立場なのに、なにお願いとかしちゃってんの、みたいな。
 でも夕べ眠れない布団の中で想像した。優しいあのひとには、まだ元気に咲いている花を捨てるという残酷な図は似合わない。
「もう水きりして花瓶に生けてあるよ。水もたっぷり。赤也はそんなことを心配してここに来たのかい」
「や……そうじゃなくって」
 部長の微笑みはおだやかだった。
 昨晩のちょっとした騒ぎなんて、この人はきっと知らないんだ。
 何にも考えないで、俺から渡された花を、写メして送った。その相手がちょっと、知識豊富な人と神経過敏な人だっただけのこと。
 それだけだ。
「花言葉なんて、送る人間が内容をわかっていて意図的に使わなければ何の意味もない」
 幸村部長は、一輪挿しに目をやった。ラッピングがほどかれて、ただ一輪の花が、透明で縦長のガラスの花瓶に挿さっていた。
「赤也は優しいいいこだね」
「優しくなんかないス! バカだし、子供だし」
「でも俺のことと一緒に、この花のことを考えてくれただろう?」
 はっとした。俺は自分が部長に嫌われるのが怖くて悲しくてそのことで頭が一杯だった。なんて自分勝手なんだろうと思った。
 その俺の言い訳を幸村部長は聞いてくれていた、聞いて、そして評価して受け止めてくれたんだ、知らずに口にしていた『花が可哀想』の部分を。
「このカーネーションだって好きで黄色く生まれてきた訳じゃないさ。でも全部のカーネーションがみんなに愛されるピンクや赤に咲けるわけじゃないからね。……こんなに綺麗に咲いているならいいじゃないか」
 きれい、と幸村部長は言った。俺が知っている誰よりもきれいな顔で、きれいな声で、きれいな瞳が紡ぐ綺麗な言葉。
「それに、俺も、黄色は大好きだよ」
 幸村部長は自分の左手でそっと右の手首を上から掴んだ。
「……先輩」
 黒いパワーリストがそこに当たり前のように定位置であった時代、勝利を誓うときのおれたちの合図。
「王者立海の色だ」







「ところで赤也、練習は……?」
 言われて、はっと正気に戻った。
(しまった!!)
「すいません部長! 追試のあと時間のびてるフリして終わってからそのままここ来たんです」
「……あ、か、やーーぁ……?」
 そして俺は気付く。結局俺が何かしてこの人の心ををがっかりとさせるとしたら、それはテニスでしかないのだと。よろこびも、かなしみも、ただこのひとと俺の絆は全部テニスにある。
「じゃあ赤也にはサボった罰が必要だね、そうだな、ここから学校まで走って帰ること。そしたらこの病院を出たらすぐに『練習』を始めたということにならなくもないだろうから、別メニューってことで特別に大目に見るように言っておくから」
「あ、ありがとうございます。俺、頑張って30分以内に学校まで辿り着きます」
 幸村部長は身を起こしてベッドから立ち上がると、床に落ちたままの俺のカバンを拾ってくれた。肩かけのひもではなくて、リュックの方のひもをちょい、と広げてくれるので、ありがたくそこに腕を通す。「肩にかけずに背中に背負っていけ」は、イコール、全力で走れということだ。
「着いたらワンコールでいいから電話しろよ。タイム測ってるから」
「はい。……じゃ、俺、いきます」


 病院の正面玄関を出て、入院病棟の3階を見上げた。いつもの部屋の窓辺に幸村部長がいた。
(……よーい)
(ドン!)
 それを合図に走り出す。
 本格的に春の陽気の3月5日、学校まで走ったらきっと汗だくになるに違いない。






(20090223)



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